新説・日本書紀㉖ 福永晋三と往く
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2019年(平成31年)2月2日 土曜日
5世紀の東西の倭国王
金村は皇位継承者を探す。まず、仲哀天皇の5世の孫倭彦王を迎えに行くが、倭彦王は兵を望んで恐れ、山壑に逃げ、行方不明になった。 530(正和5)年6月、天皇は麁鹿火に、「長門より以東は私が取る。筑紫より以西はお前が取れ」と言った。 531(殷到元)年11月、麁鹿火は筑紫君磐井と三井郡に交戦し、磐井を斬り、国境を定めた。『百済本紀』には「日本の天皇及び太子・皇子がともに崩御した」とある。教科書にいう「磐井の乱」であるが、実態は「継体の乱」であったようだ。 次回は16日に掲載予定です